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革命以前のフランスについて、「カトリック教会の長女」というような表現をされることがあります。フランスという国名はフランス語では女性名詞ですから、娘なのでしょう。それも、クローヴィスが塗油されたずっと昔からキリスト教国だったというわけですから、長女というのにもうなずけます。
16世紀の宗教改革については第1話で、フランスの宗教戦争ついては第4話で少しお話ししたように、もともとプロテスタントの盟主として知られていたナヴァール国ブルボン家アンリが、1589年フランス国王アンリ四世として即位を宣言した後、1593年には「とんぼがえり(カトリックへの改宗)」に打ってでたことはよく知られています。これは宗教上の対立を発端とした深刻な内戦で荒廃したフランスを国王としてひとつにまとめあげるための政治的に賢明な判断であったといえるでしょう。
こうして、フランスではブルボン王家による統治がはじまります。前回は、ルイ一四世による親政がはじまったころの身分占有にかんするパリ高等法院判決1676年1月7日をご紹介しました。カトリックの夫婦の婚姻の証明については、1639年11月26日国王宣言に従って書面による証明が要求されていましたが、適法な婚姻登録簿が存在しない夫婦について、実際に婚姻を挙行した聖職者の証言(この事例では、証言を書面にしたもの)によって婚姻の存在が認められたという事案でした。
それでは、プロテスタントの婚姻については、いったいどのように立証されていたのでしょうか。そもそも、1639年11月26日国王宣言は、プロテスタントに対して特に何も命じていなかったようです。ルイ一三世は、プロテスタントが婚姻をサクラメントとして考えていないことに配慮して、プロテスタントに対してはあえてカトリックの婚姻手続を強制しなかったのでしょう。
つまり、プロテスタントにとっては、まだこのころは身分占有が婚姻の民事身分を証明するひとつの手段だったのです。しかし、時代がすすむにつれ、プロテスタントの牧師に対しても、カトリックの主任司祭と同様に、婚姻登録簿を作成することが要請されるようになります。1664年9月22日国王国務会議裁決9条、1666年4月2日国王宣言10条、1669年2月1日国王宣言9条からは、牧師に対してプロテスタントの洗礼と婚姻を登録簿に記し、3ヶ月ごとに裁判所に登録簿の抄本を納めることがくりかえし命じられていたことがわかります。
こうして、プロテスタントにとっても、身分占有だけでは婚姻の民事身分を証明することはもはやできなくなっていきます。しかし一方では、これらルイ一四世の立法によって作成され、裁判所に提出された牧師の婚姻登録簿(戸籍)には、カトリック教会の婚姻登録簿と同様に、訴訟の際の証拠としての地位があたえられることになるでしょう。
ここで、ルイ一四世の統治にかかる思想的な立場についてすこし確認しておきましょう。1649年ウエストファリア条約では「ひとりの支配者のいるところ、ひとつの宗教」という原則の再確認が行われました。だたし、実際にはこの原則には制約がもうけられ、宗教上の少数派は保護されることになります。ところが、フランス絶対王政のなかで、この原則は次第にカトリックの国王がカトリックの宗教をすべての臣民に強制することができると理解されていったようです。
すなわち、「ひとつの信仰、ひとつの法、ひとりの王」を目指したルイ一四世は、プロテスタント信者をカトリックに改宗させ、信仰の国内的統一を成し遂げることができると信じていたようです。その手段が、長靴をはいた宣教師とよばれた竜騎兵によるフランス全土にわたる強制的な改宗の展開(ドラゴナード)と国王の命令による特定の地方を名指ししたプロテスタントによる公の礼拝の禁止、さらには礼拝堂の破壊でした。
こうして、プロテスタントについては、次第に婚姻の予告をすることも、婚姻を挙行することも難しくなっていきました。いかんせん、国王立法にしたがって婚姻の登録簿をつける担い手がいなくなってしまったわけですから、牧師が追放された地方では、プロテスタントは自らの婚姻を登録し、民事身分を証明するすべを失うことになりました。ただ、プロテスタントの民事身分の問題については、ルイ一四世もこれを解決する必要性を感じていたことが伺えます。
次回は、プロテスタントにプロテスタントとして洗礼を受けさせ、婚姻を挙行させるため、国家によって選任された牧師を王国各地に配置することを決定した1685年9月15日国王国務会議裁決について見てみることにしましょう。
【写真】中庭に咲くあじさい
20世紀フランスの家族法改革にその名を残したカルボニエ教授※は、自らの論文のなかで、18世紀プロテスタントの婚姻を「法なき愛」と呼んでいます。自身もプロテスタントであったカルボニエ教授にとって、「法なき愛」という言葉にはいったいどのような意味が込められていたのでしょうか。私は婚姻が国家の法にもとづいて適法に挙行されていない場合には、法の保護を受けることができないとの意味合いがこの表現には込められているように感じます。
ところで、フランスでは同性者間の婚姻を認めるかどうかについて、長らく議会や法廷で激しく主張がたたかわされてきましたが、2013年4月23日国民議会(下院)において同性者間で婚姻し、養子をとることを容認する法案が可決、成立しました。元老院(上院)では国民議会が既に可決していた法案について一部修正の上で可決しており、これを国民議会が再審理の上で可決したことで、今回の成立となりました。今後、保守系野党議員から出された違憲審査の要請に憲法評議会が判断を示すことになりますが、違憲と判断される可能性は低いとみられています。早ければ6月には同性者間の民事婚が挙行される見込みです。
フランスでは、異性間のカップルか、同性間のカップルかを問わず、民法典515-1条以下に規定されたパックス(民事連帯契約)を取り交わすことによって、税制、社会保障などの面で婚姻同等の優遇措置が認められています。しかし、同性者間については合法的な婚姻(民事婚の挙行)は認められていませんでした。同性者間の婚姻が認められたのは、世界でも14ヶ国目のことです。
※ジャン・カルボニエ教授(1908-2003年)は、ポワチエ大学、次いでパリ大学法学部(現在のパリ第二大学)で教鞭をとった民法の先生です。上にあげた論文とは、カルボニエ「法なき愛―フランス・プロテスタンティスムの歴史の余白における親子関係法についての社会心理学的考察」フランス・プロテスタンティスム歴史協会紀要125巻(1979年)47-75頁のことです。なお、上の写真は、カルボニエ教授がかつて会長をつとめられていたフランス・プロテスタンティスム歴史協会前の中庭で撮影したものです。
土志田 佳枝(名古屋総合法律事務所事務員)
【論文】
「アンシャン・レジームにおけるプロテスタントの婚姻(一)フランス婚姻法の法制史的研究」名古屋大学法政論集240号(2011年)101-157頁
「アンシャン・レジームにおけるプロテスタントの婚姻(二・完)フランス婚姻法の法制史的研究」名古屋大学法政論集241号(2011年)55-105頁
フランスにはアレティストと呼ばれる判例収集にたけた法律専門家たちの伝統があります。今回は18世紀フランスの弁護士カミュ※が編纂した『婚姻法典』(1770年) のなかから、身分占有に関する判例を見てみましょう。
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離婚の際に養育費の取り決めをしたのに、支払ってくれない。
初めの1年間は養育費を支払ってくれたが、支払いが止まってしまった。
給料が減ったから支払えなくなったと言われた。
このようなお悩みをお持ちの方はたくさんいらっしゃると思います。
現在、離婚後1年以内に約50%の確率で養育費の支払が止まっており、また、養育費の支払が約束どおり続いているのは約20%と言われています。
離婚の際、公正証書を作成したり、調停や審判で養育費金額を定めた場合でも、約束どおり養育費を支払ってもらえているケースは、それほど多くありません。
養育費は子供の権利です。親は子供を扶養する義務がありますから、子供のために、諦めずに支払ってもらいましょう。
養育費が支払われない場合に取り得る方法は、3つあります。
履行勧告とは、相手が決められた養育費を支払わない場合に、家庭裁判所から相手に取り決めを守るよう説得したり、勧告したりする手続です。この履行勧告の手続きには費用はかかりません。
もっとも、履行勧告には強制力がありませんので、裁判所からの通知を相手が無視してしまうと、支払いを強制することはできません。
履行勧告をしても従わない場合には、もう少し強い履行命令という制度があります。
家庭裁判所に対して、履行命令の申立をすると、裁判所がこれを審査して、この申立に相当な理由があると判断した場合、期限を定めて、相手に対して相当の期限を定めて支払うよう命令してくれます。
相手が支払わない場合には、10万円以下の過料に処せられることがあります。
強制執行とは、約束通りに慰謝料や養育費などが支払われない場合に、強制的に相手側の財産を差し押さえ、支払いを実行させる制度です。
夫の給与・ボーナス・退職金、夫名義の預金・自動車・土地・建物などから、強制的に取り立てることができます。
強制執行をするためには、債務名義、執行の付与、債務名義の送達証明書が必要です。
強制執行はご自身でもできますが、法律的知識や面倒な手続きも必要になりますので、専門家である弁護士にご相談することをお勧めします。
差押えは、通常の場合、支払日が過ぎても支払われない分 (未払分) の請求権に基づいてのみ行うことができます。
しかし、養育費のように、夫婦・親子その他の親族関係から生ずる扶養に関する権利で、定期的に支払時期が来るものについては、未払分に限らず、将来支払われる予定の、まだ支払日が来ていない分 (将来分) の請求権に基づいても差押えをすることができます (民事執行法151条の2 第1項)。
その場合、差押える事ができる財産は、義務者の給料や家賃収入などの継続的に支払われる金銭で、原則として支払額の2分の1に相当する部分までを差押えることができます (同法151条,152条3項・1項・2項。
ただし、その支払時期が養育費などの支払日よりも後に来るものに限られます (同法151条の2 第2項))。
相手に安定した収入がある場合には、給料等の差し押えをすることをおすすめします。
日本の裁判所は、外国法だって適用します。ご存知でしたか。まだ法学部の学生だったころに、イスラム法を適用して離婚判決を下した名古屋地裁岡崎支部判決昭和62年12月23日(判例時報1282号143頁)を読んで初めて私は知りました。この事件では、日本人妻からイスラム教徒のパキスタン人夫に対する離婚請求につき、パキスタン国の法律(イスラム法)を適用して離婚が認められました。この判決については手塚和彰『外国人と法 第3版』(有斐閣・2005年)178頁・注1)にも簡潔に取り上げられています。
このような国際離婚の事案(渉外事件といいます)を解決するためには、まず、わが国の裁判所に裁判を行う権限があるのかどうかが問題となります(国際裁判管轄の有無)。次いで、どの国の法律を適用するかが問題となります(準拠法の指定)。国際裁判管轄に関する法律については2010年の民事訴訟法の改正で立法されたところですが、この問題については別の機会に譲り、ここでは準拠法の選択について少しお話ししたいと思います。
日本には「法の適用に関する通則法」(以下では「通則法」と略します)という法律があります。離婚については、「通則法」27条を見れば、どの国の法律を適用すればよいのかがわかるようになっています。「通則法」とは、2006年に「法例」という法律を改正して成立した比較的新しい法律です。先の名古屋地裁岡崎支部の判決では、改正前の「法例」16条を見て、パキスタン国の法律に準拠して、離婚ができるかどうかが判断されました。
改正前の「法例」16条には「離婚ハ其原因タル事実ノ発生シタル時ニ於ケル夫ノ本国法ニ依ル」とありますから、この事件では、夫である被告の本国法すなわちパキスタンの法律によるべきことになります。さらに、パキスタンでは宗教により、身分法が異なります。夫はイスラム教徒でした。そこで、パキスタン国で通用するイスラム法に照らして、離婚の成立について検討がなされたのです。
この点、1939年ムスリム婚姻解消法2条2項には、「イスラーム法に基づいて婚姻した女性は、夫が二年間にわたって妻の扶養を懈怠し、または出来なかった場合には婚姻解消の判決を取得することができる」と規定されていました。名古屋地裁岡崎支部は、夫婦関係破たんの具体的事実をこれにあてはめ、日本人妻の離婚請求には理由があると判断したのです。なお、改正前の「法例」16条は但書で「裁判所ハ其原因タル事実カ日本ノ法律ニ依ルモ離婚ノ原因タルトキニ非サレハ離婚ノ宣告ヲ為スコトヲ得ス」と定めていましたから、裁判所はこの点についても検討を加え、日本の民法770条1項5号所定の婚姻を継続しがたい重大な理由にも該当すると述べています。この判決については、大村芳昭教授によって評釈が書かれています(ジュリスト1048号111頁)。
その後、「通則法」が成立してからも、日本の裁判所においてイスラム法の適用が問題となった事例はいくつかあります。宇都宮家庭裁判所審判平成19年7月20日の養子縁組許可申立事件(家月59巻12号106頁)では、「通則法」42条を適用し、養子縁組を認めないイランのイスラム法を適用することは公序に反し許されないとし、日本法を適用しました。また、東京家庭裁判所審判平成22年7月15日の親権者変更申立事件(家月63巻5号58頁)においても、子の親権者を父から母に変更することを認めないイランのイスラム法の適用を「通則法」42条により排除し、日本法を適用しています。
ここまでお話ししたことは、国際私法という分野で扱う内容です。現に国によっては、同じ国のなかでも宗教により身分関係を律する法律が異なりますから、準拠法選択の結果として、その国に通用するイスラム法が適用されることもあるわけです。ただし、イスラム法適用の結果が、日本における公の秩序を壊すようなおそれがある場合には、例外としてその適用は排除されます。先の二つの審判は、その結果として日本法を適用しました。外国法の適用事例については、また機会がありましたら、ご紹介させていただきたいと思います。
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第3話でお話ししたように、カトリック教会は親の同意のない子どもの秘密婚を有効であると判断しました。ただし、婚姻が有効に成立する要件として、主任司祭と証人が婚姻当事者の合意の交換に立ち会わなければならないとも決めたのです(タムエトシ令)。
しかし、すでにフランス国王は立法で親の同意のない子どもの婚姻には相続廃除という罰則を科していましたから、この玉虫色のカノン法はフランス王国では受け入れられませんでした。
こうして、フランスではカノン法から離れて少しずつ王国の婚姻法が整備されていくことになります。まず、アンリ三世によって1579年5月「ブロワの王令」のなかに婚姻にかんするいくつかの具体的な規定が置かれました。ここでは、人の出生・婚姻・死亡について記録していた教会の教区簿冊を国王裁判所へ運ぶよう命じた181条に着目してみましょう。
(181条)しばしば人の出生、婚姻、死、埋葬にかかわる裁判で行われざるを得ない証人による証明を避けるため、余の裁判所書記長に対し、自らの裁判所の管轄の主任司祭またはその助任司祭を毎年ごとに追及し、その年に行われた彼らの小教区の洗礼、婚姻、埋葬の登録簿を毎年年末後の二ヶ月以内に運ぶことを命じる。
これより40年前にフランソワ一世によって出された1539年8月「ヴィレール・コトレの王令」では、洗礼と埋葬についてだけ定められていましたから、ブロワの王令ではこれが婚姻にまで広げられたことになります。それまで訴訟では、身分関係の証明を証人による証言に頼らないといけないということもしばしばだったのですが、国王裁判所にカトリック教会の洗礼・婚姻・死亡の登録簿を備えることによって、書面による証拠が証人による証言にとって代わることになります。
もっとも、カトリック教会が教区簿冊をそのまま国王裁判所に渡すことは考えられませんから、副本(写し)を作成したり、国王裁判所に運ぶ費用はどっちが負担すべきかといった王令を運用する上での議論はつづいていくことになります。こうして、フランスではカトリック教会の教区簿冊の副本が国王裁判所に備えつけられることになり、国王裁判所において相続や婚姻の有効性を争う事件ではこれが証拠として使われるようになります。これを民事身分の登録簿といいます。
その後、王国の婚姻にかんする法律は、ルイ一三世の1639年11月26日国王宣言のなかにまとめられることになります。そして、秘密婚については新たな罰則が加わりました。すなわち、秘密婚をした夫婦とそこから生まれた子どもについて、「内縁関係の恥辱の影響を強く受け、その子孫に至るまで、相続における無能力者である」ことが宣言されたため(5条)、それまで秘密婚をした子どもだけが負っていた相続廃除のペナルティについて彼らの子々孫々にまでおよぶとされたのです。
第2話でお話ししたように、もともとは親の同意のない秘密婚をした子どもについて、アンリ二世の1556年2月「秘密婚に対抗するための勅令」は親からの相続権を廃除する規定を置いていました。それに加えて、1639年の国王宣言は秘密婚をした夫婦から生まれた子どもに対しても、夫婦が残した遺産を受け取れないようにしたのです。この規定は、後にプロテスタントの婚姻から生まれた子どもの相続権をめぐる訴訟においてその濫用が問題となります。
さらに、1639年の国王宣言では、婚姻の証明について世俗の裁判官に対しても、教会の裁判官に対しても、書面以外の方法で婚姻の約束の証拠を受け取ることが禁じられました(7条)。つまり、ルイ一三世は教会裁判所では教区簿冊、国王裁判所では民事身分の登録簿のような書証でなければ、婚姻という身分関係の証拠としては不十分であるとの判断を示したのです。
しかしながら、17世紀の後半においてもまだ、婚姻の登録簿が存在しない何らかの事情がある場合には、夫婦の身分を占有しているとの証言で婚姻を立証することがまだ可能だったようです。では次回は、この夫婦による身分占有によって婚姻の存在を認めた当時の判例を見てみることにしましょう。
【写真】リュクサンブール公園とチューリップ
ルイ一三世の母であるマリー・ド・メディシスによって17世紀初頭に建造されたリュクサンブール宮殿には、以前お話しした通り議会上院である元老院(セナ)が現在置かれています。ルイ一三世の父は、フランスの宗教戦争を終結させたことで知られるナントの勅令で有名なアンリ四世です。一方、ナントの勅令を廃止し、プロテスタントの公的礼拝を禁止したルイ一四世は、ルイ一三世の息子です。
土志田 佳枝(名古屋総合法律事務所事務員)
【論文】
「アンシャン・レジームにおけるプロテスタントの婚姻(一)フランス婚姻法の法制史的研究」名古屋大学法政論集240号(2011年)101-157頁
「アンシャン・レジームにおけるプロテスタントの婚姻(二・完)フランス婚姻法の法制史的研究」名古屋大学法政論集241号(2011年)55-105頁
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